触れるということ|私の根っこにある想い
前回の記事を書き終えて
前回の記事を書き終えたあと、
この時間を通して感じたことを、
そっと言葉に残しておきたいと思いました。
今回は、今の私の根っこにある考えを書いてみます。
触れることの記憶
コロナ禍の当時、
施設に入っていた祖母とは、最期まで会うことが許されませんでした。
ようやく面会できたとき、
祖母はすでに息を引き取ったあとで、
体にはまだ、ほんのりとあたたかさが残っていました。
「触れること」
「温もりを感じること」
それが、どれほど大切なことだったのかを、
私はそのとき、強く実感しました。
三国寮で感じた温もり
三国寮さまでのクラスでは、
最後にたくさんの方と握手をしたり、
手に触れたりする時間がありました。
視覚に障がいがある方だからこそ、
肌から伝わる感覚が、より大切に感じられたように思います。
その温もりは、
参加者の方のためだけでなく、
実は私自身の心も、静かに癒してくれていました。
触れ合えること、
生きていることって、
本当に素晴らしいことですね。
「家族だと思って向き合う」という考え方
リハビリの現場では、
「目の前にいる患者さんを、自分の家族だと思って接する」
という考え方があります。
高齢者の方には、
自分の祖父母だったらどう接するだろう、
そんな気持ちで向き合いたいです。
私の親世代の方には、
忙しさや照れくささで、
なかなかできない親孝行のつもりで接したい。
そして、
子どもたちには、
我が子のように接したいと思っています。
これは、ヨガでも、地域活動でも、
今も変わらず、私の中にある軸です。
いつも完璧ではいられないけれど
正直に言えば、
私自身も、育児で疲れていたり、
余裕がなくなってしまう日もあります。
いつも、穏やかで、理想的な気持ちで
クラスに立てているわけではありません。
それでも、
目の前にいらっしゃる方とのご縁を大切にしたい。
初心を忘れずに向き合いたい。
そう思いながら、
一つひとつのクラスに向き合っています。
「いつでも待っています」という気持ち
先日、
2年ぶりにクラスに来てくださった方がいらっしゃいました。
実は、その方のことを、
時々ふと思い出して、気になっていました。
お話を聞くと、
仕事が一段落して、ようやく来られるようになったとのこと。
来られなかった時間があっても、
私は、まったく気にしていません。
久しぶりでも、
来たいと思ったときに、来てほしいです。
もちろん、
本音を言えば、毎週来てもらえたら嬉しいです。
でも、
数年ぶりでも、
このクラスのことをふと思い出してもらえるなら、
それだけで、とても幸せなのです。
生きていることは、当たり前じゃない
生きることの大切さは、
言葉にすれば簡単かもしれません。
でも実際には、
今ここに生きているのは、
たくさんの人の支えや、
偶然が重なった結果だと思っています。
だからこそ、
今、目の前にいる人との時間を大切にしたいです。
これからも、
ヨガや地域活動を通して、
そんな時間を、そっと共有していけたら嬉しいです。

